日本のシャンプー

洗髪の習慣は過去に遡る程頻度が少なく、日本髪が結われていた時代は一ヶ月に一度程度というのが一般的であった。

また、結う際に油で艶を付けるという考えから、洗髪によって髪を美しくするという概念は今ほど強くなく、ふのり米ぬか小麦粉などで髪の油分を奪う洗い方が多く用いられていた。日本に洋髪が入ってきた時代、日本人の硬く太い髪を洋髪にするのは困難であり、髪に適度な油分を与えるシャンプーが好まれるようになり、普及し始めた。現在では知る人は少ない、「七夕に髪を洗うと髪が美しくなる」という言葉は、洗髪が日課として行われていなかった時代を反映していると言える。

そんな中、江戸時代に「洗い髪」が、町屋、ことに花柳界の女性の伊達な誇りとして流行した。

江戸の女性は髪を洗うときは絞り染めの浴衣をきて、前垂を背にかけて、髪垢で着物がよごれないようにした。洗った後は髪が乾くまで散らし髪のまま近所を出歩き、かわくと油をつけないで仮結にし、それをいきの極致とした。この洗い髪の粋な艶姿で有名になったのは明治時代、東京の名妓、「洗い髪のお妻」である。

ただし江戸でも御殿女中などが髪を洗うのは、依然甚だまれであった。髪を洗わない女性は唐でよく梳いて垢をとりさり、そののち匂油をつけて臭いをふせいだ。

京阪でも髪を洗うのはすこぶるまれであったが、娼妓はしばしば髪をあらった。天保ころから江戸の女性をまねて往々髪を洗う女性があらわれるようになった。しかし京阪では往来で散らし髪の女性は見られなかった。

くしけずることさえ「三箇月一度可梳之、日日不梳」(九条殿遺戒)といったほどであった。洗うよりも油を塗る方が多かった。最初期は粘土ヒルガオのような野生の蔓草の葉を搗いて砕いて、水に溶かした液体を用い、また灰汁などで洗った。関東では午の日に髪を洗うと発狂するといい、九州では夜、髪を洗うと根元から切れるという。民俗学者は前者は丙午の迷信と関連づけ、後者は「本朝医談」や「後見草」にあるかまいたちや妖狐などのしわざと考えた髪切の怪を思わせるという。髪洗いの吉日もあり、「権記」寛弘6年5月1日の条には暦林を引いて「五月一日沐髪良、此日沐令人明目長命富貴」という。阿波では旧10月の戌の日におこなう御亥の子祭の晩に髪を洗うと赤毛が黒くなり、老いても白髪にならないといい、福島市付近では七夕の夜、婦女が流に出て洗髪する。

1988年には朝早く起きてシャンプーをしてから通勤、通学する「朝シャン」が若い女性に流行した。このためシャンプーが手軽に、短時間でできるような商品が開発された。シャンプーとリンスが一度で済むリンスインシャンプーのほか、裸になって風呂場まで行かずとも、洗面台で髪を洗えるシャンプードレッサーが登場した。雑誌の広告欄には「服を着たままシャンプーができる」というキャッチコピーを掲げたハンディシャワーに、セーラー服姿の女子高生シャワーを持って微笑んでいる写真が掲載されていた。

またここ数年、クールビズの浸透に乗って、理容店では夏場に冷やしシャンプーを取り入れている。全国理容生活衛生同業組合連合会のキャンペーンによるものである。主にトニック系、メントール系の強いシャンプーを冷凍庫に入れて冷やしたり、氷を混ぜて冷やしたりという手法がとられている。山形県で最初に提案された、とテレビでも紹介があった。 中でも東京神田神保町にある理容店「セブンヘアー」の「冷やし頭」登録商標している。